シャトー・ド・カマンサック:
先駆者としての歩み

フランス王アンリ4世の治世下で進められた辺境地の価値創出。その一環として、メドックの湿原では干拓事業が推進されました。

16世紀:
テロワールの価値認識

ガスコン語で「水辺へと通ずる小路」を意味する集落名… 1767年にピエール・ド・べレイムによって作成された地図には、サン・ローラン・メドック村に位置する集落として記載されています。この公式サイトでは、過去から現在までシャトー・ド・カマンサックがたどって来た時代を振り返り、常にイノベーションとともに歩んで来たその歴史と文化をご紹介しています。

 

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1701年

カッシーニとべレイムが光をあてた集落

当時、カマンサックの集落には家屋がひとつ。ぶどう畑は湿地に囲まれるように広がり、その両側にはラ・トゥール・カルネとラグランジュが佇んでいます。

1799年

シャトーの誕生

フランス革命による混沌とした世相の中、当時ベイシュヴェルの領主であったバロンヌ(男爵に相当する女性の爵位)・ド・ビュドスことデルフィーヌ=カトリーヌ・ド・ブラシエが亡くなり、ドメーヌの分割が進みます。シャトー・ド・ベイシュヴェルの所有権はバロンヌの娘が保持。一方でカマンサックとラマルクは国に物納され、その後、カマンサックは競売にかけられます。1799年、ドイツ・ハンブルク出身のジョゼフ・ポップがカマンサックを買収。ポップ家は1707年にボルドー市内シャルトロン地区に帳場を構えたハンザ同盟都市出身の一族でした。

1855年

グランクリュとしての名声

ナポレオン3世はパリにて1855年に万国博覧会を開催することを決定。博覧会にて展示紹介される商品および美術作品の選考は公式委員会に委ねられました。その一環として1855年4月18日、ボルドー地方のワイン取引を活動基盤とするクルティエ(仲介業者)組合によって格付リストが作成され、1級から5級まで、上から順にワインのランキングが公表されました。この1855年の格付制定によって、ポップ一族の献身的努力とカマンサックのテロワールの秀逸性が認められ、国際的な名声が確立されました。

1860年

先駆者的ワイナリー

1860年、シャトー・ド・カマンサックの運営指揮はブリュノ・ポップに委ねられました。彼のもとで醸造設備の拡張工事が始まり、現在のシャトーが形づくられます。設備には随所に創意工夫が見られ、特に可動式搾汁機はその後メドック地区一帯で導入が加速するきっかけとなりました。

1887年

海軍大尉による舵取り

ポップ家の後継が絶えたことにより、アルフォンス・ド・トゥルナド(フランス海軍大尉)とアントニア・ガリグー(アントワネット・ド・ラペイリエールの孫娘)がシャトーを買収します。

1906年

征服者による掌握の時代

1906年、アルフォンス&イヴォンヌ・トゥルナドの死後、シャトーはラアンス伯爵(ラローズ・トラントードンおよびペルガンソン所有者)に売却されます。

1912年

ポワフェレ買収の前に

1912年、サンテステフ村のシャトー・ル・クロックのオーナーであったポール&アルベール・キュヴリエがシャトー・ド・カマンサックの所有権を取得します。

1964年

新たな旅立ち

1964年、エリゼ&アンリ・フォルネールがカマンサックのぶどう畑を買収。買収当時、シャトーの歴史的区画は無残にも荒れ果てた状態でした。エミール・ペイノー先生から的確かつきめ細やかなアドバイスをいただきながら、新たなオーナーのもとで、往年の輝きを取り戻し、偉大なるテロワールを再び蘇らせるための復興プロジェクトが始動。2005年まで続きました。

2005年

メルロ家の登場

2005年、ジャン・メルロとセリーヌ・ヴィラール=フーベがシャトー・ド・カマンサックの所有権を取得。まずはフランス国外におけるシャトーの知名度を高め、かつての勢いを取り戻すことに重点的に取り組みました。メルロ家は、グリュオ=ラローズ、オー・バージュ・リベラル、フェリエール、シャス=スプリーン、そしてシトランと、ボルドー・メドック地区に錚々たるワイナリーを複数所有する一族です。

2021年

エコ・コンシャスな取り組み

シャトー・ド・カマンサックはHVE(環境価値重視/Haute Valeur Environnementale)認証が定める環境アプローチに賛同し、同認証のレベル3を取得すると同時に、「アグロエコロジー」プログラムをスタートさせました。

長期的視点に立った価値観で、次世代へとつなぐ

経験とノウハウに裏打ちされた、一族のチャレンジ精神

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